忍者と盆栽

限界への挑戦

※東京都江戸川区春花園「旭光」(真柏)

最近仕事で庭園や盆栽とご縁をいただくことが続き、ふと忍者と盆栽には共通点が多いな、と気づきがありました。

ともに日本が誇る歴史ある文化ということはもちろんですが、以下のように3つに絞ってお伝えします。

1. 生と死の共存

忍者はいつでも死ぬ覚悟をしつつ、共生のために万策を尽くします。盆栽も幹が半分枯れたり生きている枝が残り一本となったりしてもなお、自力で水を吸い上げ末端の緑色の葉を見せて「生」を体現します。

その様は、生と死・表と裏・陰と陽が常に対であることを端的に表した陰陽図のようです。死を一旦受け入れた表裏一体の生だからこそ、見る者の想像力と緊張感を生み、惹きつけられるのだと思います。

※左は東京都江戸川区春花園「双龍の舞」(真柏)

 

2. サバイバル(生存)の究極の形

死と隣り合わせで生をつなぐには並外れた情報力(知恵)と精巧な技、それを工夫しながら実践し続ける辛抱強さが必要です。

具体的には忍者は、怪しまれず多くの人と接するために僧侶や商人に化けて何年もかけて情報収集することもありました。当然、職業毎の技能を習得し、土地の言葉を使い分け、体にまとう香りや歩き方、ルックスまで変えたのです。

盆栽も、生をつなぎかつ美しさを極めるために、できる限り浅い盆(鉢)に根を回し、枯れずに残った幹の維管束から水上げをさせるなどの緻密な技を根気強く駆使します。

 

3. 自然との融合:長期的視点

元々忍者は要人や集落を守るために生まれた存在なので、権力や地位、名誉に対する欲はありません。安寧や平和のため家族にも身分を伏せて生きる者もいました。
そもそも平和な状態というのはヒーロー映画のように一朝一夕に成り立つものではありません。
忍者は時には何代にも渡ってその土地に馴染み、地域や国を守るために不穏な動きがないか目を光らせていたのです。

三大忍術書のひとつ「万川集海」に、上忍の特徴として挙げられた言葉があります。

「音もなく、臭いもなく、知名もなく、勇名もなし、その功天地造化の如し」

自然の営みのように人に気づかれず任務を果たすことを最上とした忍者と、気が遠くなるような時間と手間ひま・技をかけられた盆栽の佇まいやその在り方に、共通した美学を感じ心が動かされるのは私だけでしょうか。