見えないけれど、そこにあるもの
忍者はいわゆる陰の存在として知られていますが、一般人に紛れて諜報活動をすることもあり、表と裏の両方の世界で立ち回りました。さて、日本のみならず、古今東西に諜報活動をする人はいるのに、なぜ今も「NINJA」が国際的に知られる存在なのでしょうか。映画や漫画等のコンテンツによる影響も大きいと思いますが、ここでは日本人の独自性と絡めて考えてみます。
最近の研究で明らかになってきたのですが、日本古来の忍者の使命は「生きて情報を伝える」ことです。生き残るためには互いの労力を奪い合う「戦い」よりも、有益な情報を持っている方が有利かつ優位であるのは明確で、そのために情報収集をしました。また、勝負の世界で時々言われることですが、結果は同じだとしても「勝ち」を狙っていくのと「負けない」つもりで勝負するのとでは、戦い方と精神状態が異なります。忍者はその「負けない」と同義の「生き残る」ことが使命でした。
忍者は相手方の恨みをかうような戦い方をせず、勝利してもその功績を掲げて名を残すこともしませんでした。相手を叩きのめし、恨みや妬みをかう勝ち方は負の連鎖を生むだけだ、と経験による知識と心理的な知見を持っていたからです。
さて、忍者は自らも姿を消すと同時に、視覚的に見えないものも「ある」という前提のもと、それを行動に落とし込んでいました。その事例として以下があります。
①忍務に赴く際に行う九字護身法(まじないの一種)は、呪文を唱え、印を結ぶことで多くの神に護られるための儀式で、これを経て心を強く持ち戦いに臨んだと言われています。
②様々な呼吸法を駆使して、それにより気配を消したり、身体や精神状態のコントロールをしました。
ただの神頼みにとどまらず、その先の「行動」が目的だったのです。決められたある行動を起こすことによって、目には見えない力を得て強い気持ちで行動ができるという経験則から、意識的に活用していたのだと思います。(後の研究により、明らかに効果を生む因果関係があったことが判明しています)。
「お天道様が見ている」「八百万の神々」「徳を積んだ」などの表現や、今でも「空気を読む」「間を大事に」などの表現は日常的に使われます。はっきり数値化できないけれども、確かに何かしらが存在していることを肌で感じている、というか意識の深いところで知り、何かとつながっている感覚。これらは、忍者でなくても元々日本人の中にある意識や感覚ではないでしょうか。
忍者は見えないものが「ある」のは当然で、大切なことの大部分は裏側に隠れている、と気づいていました。そのせいか、家柄や功績、人からの賞賛など、目に見えるものにとらわれず、表や前に出ることをしませんでした。きっと陰の世界で生きるからこそ、より見えるものもあったのでしょう。
このように、勝ちを取りに行くのではなく「負けない」「戦わない」「生き残る」ことに重きを置いたり、功績を残さず仕事が終われば気配を消して裏にスッと「引く」生き方は日本独自の価値観でありユニークであるため、海外の人にエキゾチックな印象を残し、彼らを惹きつける一因となっているのではないでしょうか。